与太郎の奏でる音楽

出来事を文字にして白地の空間に毎日投げ込む

そういう祭りじゃない

蚊に刺されやすい。
気づいたら腕や膝や、ひどい時には足の裏まで刺されたりする。
そんなに美味しいか、私の血は。
でもあいつらは30度を超えると活動が鈍る、というニュースを見てから確かに8月辺りが一番刺されないなと思っていた。
9月下旬にさしかかり、いよいよ秋なのかと思いきや日中はまだまだ暑いのでどうにか刺されなくて済んでいるのだが、朝や夜になると蚊が周囲をウロウロしていることがある。
これ10月とかが一番やばいんじゃないのか、とソワソワしている。
ソワソワしながら虫除けスプレーをシュッシュしている。

🦟

仕事をしていたら外で大声で通話している人がいた。
「今、パン祭りやってんだよ!いや違う違うそういう祭りじゃない!パン祭りね、パン祭り。だからそういう祭りじゃないんだって!」って言ってたのだけど、通話相手は何を想像していたのだろうか。
パン神輿やパン音頭、パン太鼓にパンねぷたを思い浮かべていたのだろうか。
なんだか行きたくなって来たぜ、パン祭り。

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『夜明けに、月の手触りを』から、展 ~2023 東京編~を見て来た。

yoakenitukinotezawariwo.hatenablog.com

朗読劇を見て来た、というよりもその場に居る、触れるという感覚があった。
ただ戯曲の朗読をするだけでなく、観客も戯曲を持ち、本読みのようにテキストをめくりながら俳優さんの言葉を聞くというのも新鮮だった。
10年前だと感じるセリフや、10年前だと感じさせないセリフが両方混在していた。
それはこの国の置かれている状況が変わった部分と変わっていない部分(むしろ酷くなっている部分)と呼応していたので、今こそ再演されるべき戯曲なんだな、と感じた。
セリフとモノローグの境界が曖昧になることで同じ場所にいるはずの人物たちが会話をしているようでいて会話をしていない状況が生まれているのが面白かった。序盤の服屋さんで買い物するシーンは、一見すると会話になっているようにも見えるのだけど、実はキャッチボールにはなっていなくて、それがおかしみと哀しさを生んでいてとても好きだった。
⚾️
何より、あさこの妹へのスピーチの場面が心に残った。
あさこという登場人物は妹が手にしようとしている「一般的な幸せ」なるものに対して距離を置いている。その理由は戯曲の中で描かれることなので、ここでは省略する。
スピーチ、というよりも妹への届かない手紙のようにも思えるその手紙を読み上げる場面があるのだが、その手紙を読む姿を見ているうちに自然と涙が出てきた。
この涙の由来の根源はどこにあるのだろうかとずっと考えている。
その後トークの際にも出てくる「配慮」という言葉が今もずっと刺さっている。
相手を慮る、ということは割と肯定的なイメージがあったが、あのスピーチの中で出て来た「配慮」には全く異なる言葉の感触があり、それが怖かった。
朗読の時にもその部分で間が空いた。見ていて一番力が入った時間だった。
具体的にその瞬間、あさこの中でどんな思いや言葉が逡巡したのかはわからない。だけどそれでもそこで声を出し、次に連なる言葉へと繋げていく姿勢に涙が出とまらなくなった。
今の自分はこう考えているが、まだまだ全然色んな可能性がある。だからこそこれを解とせずにこれからもずっと考え続けていきたい。
そして何より物語を書く側の人間として、俳優という仕事に心から敬意を払いたい。
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戯曲が終わった後、俳優さんや演出家さんと共にトークをする時間があったのだけど、そこが「舞台と客」という垣根を取り払った、だけど互いの距離をとても大切にしている空間になっていてすごく貴重な時間を過ごせた。
実はトークの途中で、一つの属性が仮想敵というか、どこかみんなの中の共通の敵めいたものになりかけていたように感じた瞬間があってその時だけは少しヒヤッとしたのだけど、演者の方がすぐに同年代の人や年下の人などにも無意識に差別的な振る舞いをする人がいると意見を述べていて、それがまたこの場の受け止める力、そしてちゃんと他者を思う空間になっているなと感じて心からホッとした。
この人たちのお芝居が見られて本当に良かった。
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その後も発言する方たちに相手を指摘したり、糾弾したり、論破するような姿勢はなく、悩みながら思い巡らせながらも言葉を紡いでいた。
そして空間にいる全員が途中で遮ることなく、傾聴の姿勢でその言葉を受け止めていたのもとても心地よかった。
こういう場所がもっと増えたらいいなとすごく思った。
演じること、というより、もっと広く見て「文化芸術」そのものがこの世に存在する意味を十分に体感できる時間だった。
緊急事態宣言下の時に「文化芸術は不要不急」と言われたりもしたし、いまだに無くてもいいと言う人もいる。
人はそれぞれだし、考えそのものを全否定する気はないけれど、「文化芸術」が存在することで人はもっと豊かになる。少なくとも私はそう信じている。
そんな手触りを感じながら、夜の街道をふらふらと歩いた。