与太郎の奏でる音楽

出来事を文字にして白地の空間に毎日投げ込む

ずっと目を逸らしてきたのは

アメリカが国連安保理でガザ停戦を支持したというニュースが流れた。

これが順調に進めばようやく停戦までの道筋が見えてくるかと思うが、パレスチナの問題はまだまだ全然解決しないと思う。
おそらくまた過激派組織が行動を起こせば、きっとイスラエルはさらなる報復をするしそれでまた民間人が巻き込まれて理不尽に殺されてしまうだろう。
一方的な占領を止めること、そうしなければパレスチナに平和は訪れない。

 

こうやって色々と記事を書いたりしてきたが、あんまりにも悲惨な映像とか写真とかはなるべく貼らないようにしていた。
やはりいきなり目に飛び込んでくるものとしてはあまりに辛い。
これが現実だから目をそむけてはいけないっていうのもわかる。でもやっぱそれを目にすることによって反射的に目をそらして、離れてしまう人だっているかもしれない。
それってせっかくパレスチナのことを少しでも知りたいって思っている人にとってはあまり良くないことなんじゃないかなって思っていた。


今の状況をよく知らない人や、少し知ってるけど実際どういうものか知らない人が、どういうことなんだろう?って興味を持つきっかけにもし自分の記事がなったらいいなと思って書いてきた。
でも正直言うと、この「今の状況をよく知らない人や、少し知ってるけど実際どういうものか知らない人」というのは、自分自身のことだった。
ずっと目を逸らしてきたのは私なのだ。
あまりにも残酷でグロテスクなものを、こんなむごいことを本当に人間がしてしまうのかっていうような光景を目にするのは、心が痛むし何よりつらい。だから今まで目をそらしてしまっていた。
それでずっとパレスチナの歴史を調べようとしてこなかった。
別に今回の攻撃が最初ではないことも知っている。
これまでだってずっと争ってきて、その中でたくさんの民間の人たちが犠牲になっているのを知っていた。
なんとなく日々のニュースで、目の隅の方で見ていたのに、見ないことにしてきた。
それは反省しなきゃいけないことだなと思う。
だからこそ今回、いろんなニュースをなるべく出典が明記されてる形で記事の中に拾い上げて、その記事を中心にしてパレスチナで今何が起こってるのか、自分も現在進行で勉強している。

 

今まで記事を書きながら感じたことは、知っちゃったら後には戻れない、ということだ。
そして「知っちゃったら後に戻れない」からこそ、つい目を背けてしまう理由なのかなって思う。
だってやっぱりパレスチナで起こっていること知る、自分の中で認識した、という事実は消すことはできない。絶対自分の中に残る。
一時的に目をそらすことはできるかもしれないが、必ず頭の片隅には在りつづけるのだ。
それが許容できない人、その余裕がない人には私の言葉はきっと届かないんだろうなと思う。
別に今回勇気を出して一歩踏み出すことができた自分偉い、みたいなことを言いたい訳じゃない。むしろ、今更ようやく目を向けている自分が恥ずかしいと思って書いている。
正直このことだって書く気はなかったし、書きたくなかった。
でも書かなきゃいけない気がして、言葉にしている。

こんな風に意識的、無意識的に目を背けていることがたくさんある。
これからは気になったらすぐに調べて言葉にしようと思う。
まだまだ勉強は続く。そして学び得たことでどう考え、どう行動をするか、ちゃんと向き合いたいと思っている。
国際情勢のこととか、政治的なことを書いたりすると、真面目だね、とか仕事上での付き合いとか大丈夫?面倒くさい人みたいに思われるよ?と色々言われたりすることもあるけれど、今回のことに関してはそれ以前の話というか、「人を殺すな」っていうすごく単純なことを言っているだけだ。
どんなことがあっても、人が人を殺す行為を支持したり、煽ったりしちゃいけない。
ましてや、何もしてないのに、「その場にいたから巻き込む」っていうのは、あまりにも理不尽なことだし、それを「自己責任」とか「ガチャが悪い」みたいなものとして言うのって、最悪なことだと思う。
だからちゃんと自分なりに調べて、考えて、それを記事にしてまとめたいと思った。


別に私と同じようなことはしなくたっていいと思う。
ただこの記事をここまで読んでくださった方にお伝えしたいことは、それぞれの場所でそれぞれの物の見方で、それぞれが大事にしていることを最優先に、これからも一緒に考えていきましょう。これに尽きる。
ちょっといつもより気持ちの部分を優先して書いてしまっているのでまとまりがないかもです。ごめんなさい。
これからまた色々手直ししていくかと思います。