与太郎の奏でる音楽

出来事を文字にして白地の空間に毎日投げ込む

沼て

私は都内近郊の団地で生まれ育った。めちゃくちゃ不便だったのを思い出す。最寄駅は私鉄と私鉄の間にあってどちらの駅からも絶妙に遠い。自転車の移動が基本で雨が降ると格段に不便になる。バスもしょっちゅう遅れるし、本数もそんなにない。

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そして団地には子供たちの遊び場になってるテニスコートがあったのだけど、ブラックエンペラーの集会所になっていて「ゴッドファーザー」のラッパをしょっちゅう聞かされてた。人工芝はタバコの痕だらけでボコボコしてた。

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私の住む市区町村ってそういう所だと思ってたから同じ市区町村内の別の町に行った時、雰囲気が全然違くてびっくりした。その団地の辺りには、すごい急な坂になってて坂を下ったところにロータリーがあった。団地育ちの幼馴染が大学生になってからこの辺りの歴史を調べたら、沼だったと教えてもらったことがある。沼て。その時幼馴染から、希望とかひかりとか、なんかキラキラした地名が付いていたら気をつけた方がいいと教わった。当時は何それと思ったが調べてみてなるほどと思ったり。

「わたしがよくネタにするのは世田谷区にある『希望ヶ丘団地』。どう見ても高台にある団地って名前だよね。希望の丘だもんね。ではその希望ヶ丘団地がどんな場所に建てられたか、今昔マップで今昔を並べてみよう。赤い四角で囲んだエリア内にあるいくつかの大きな建物が『希望ヶ丘団地』。URの賃貸住宅だ。明治の地図と見比べてみるとどう見ても『丘』というより川沿いの水田地帯、つまり低地じゃないか。」

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